樋口武二詩集『拾遺譚記憶の中のものたちが、』

「夢」を詠む                  真鍋苑子

 

 樋口さんは「夢」を描く。すべてのご詩集に触れたわけではないが、それでも何冊かの詩集に収められた作品群や、その中に綴られたご自身の言葉から、それを明らかに感じ取ることができる。失礼を承知で言えば、樋口さんは、夢に「憑かれている」といっても良いかもしれない。それでは果たして、「夢」とはなんなのか。そして、その疑間を突きつめれば突き詰めるほどにぶち当るもうひとつの疑間。では、「現実」とはなんなのか。樋口さんは、その両者についても問いかけを続けている。
 最新詩集『拾遺譚 記憶のなかのものたちが、』は、序「アンドロイドは夢をみるのだろうか」によって幕をあけ、第1章「日常からの声」に呼びかけられるように第2章「ものがたりの森へと誘われ、」、第3章「ひとを捜して歩きまわって、」で幕を閉じる。「夢」への思索をあきることなく続けている樋口さんの姿勢を象徴するような章だてになっている。「夢」という現象は、人という生き物が、生命活動を維持するために必ずおこなわなければならない「眠り」という行為の中に時折あらわれる。それならば、「夢」をみることも、人にとって生きるためになくてはならない行為なのではないか。生まれてから一度も夢を見たことがないといった人に、自分はいまだかつて出逢ったことがないが、それも、そのような理由があるのであれば納得がゆく。これがもし真実であるならば、アンドロイドは、夢をみる「必要」がないのかもしれない。夢に対する科学的な研究は今もなお様々な形でおこなわれているとは思うが、樋口さんは、それを横日でとらえながらも、「詩作」という方法をとおして「夢」を見つめつづけている。考え始めればキリがない問いがこの世には数限りなく存在する。「夢」もそんな問いの一つだ。樋口さんにとって詩を書くということは、「夢」を哲学することなのだとも思う。でも、答えなどいらないのだ。「夢」という問いがわたしたちに与えてくれる際限のない「生命」や「人生」に対しての想い、それを見つめるために、繰り返される日常の中の規律にそった足並みをほんのひと時でも、不可解な、不愉快な、痛快な、時に思いっきり幸福な足どめを食らわせてくれる「夢」というものを、樋口さんは愛してやまないのだとも思う。
 樋口さんの詩に触れていると、自分まで「夢」を愛しいものと思える。そしてこの詩集を読み終えて今、映画フ´レードランナー』や、黒澤明の『夢』を、ふたたび鑑賞したくなっている。樋口さんの「夢」は、決して終わらない。

(会報298号より)

 

田口三舩詩集 『能泉寺ヶ原』を読む
詩観を貫く諧調と志節            川島 完


 音楽でも数学でも、「美しい」と呼ばれるベースには、必ず諧調がある。建築もそうだ。もっとも不協和音を多用する現代音楽や、五次以上の方程式は代数学では解けない――という現実もある。田口詩を「美しい」という括り方で見ているわけではないが、一本貫く諸調だけは、本物である。
 基盤上をバランスよく見極める頭脳、教育弱者に長く係わってきた身体性も、側面的にはあるだろう。が、それにしてもこう重心を低くし、安定感に裏打ちされた作品群を読むと、人はみな小さな幸福感に浸る。そこには鋭利な論調も、ソフトフオーカスにしてしまう技術があり、ぼやき口調を支える独特のフレーズの構成力もうかがえ、心憎い気さえする。
 そんな思いのなかで詩集をみつめると、「アケビ」「能泉寺ヶ原」「夢は朧に陽は西に」「歩き方を見ればすぐ分かる」「もうこれっきり」「有り体に言えば」などが、その母岩を為しているように思える。時代や環境や人びとと
の濃淡を併せ持つ関係性が、手際よく調理され立ち上がって来る。
 その上、多くの作品がさらりと書かれているのに、文系の温灰のなかにある親和性があり、しかも順なることも逆なることも受け止めて胸に収める、包容力豊かな詩姿にもなっている。
 こんななかで、強いて好きな詩といえば「ヤブツバキ」になろうか。

 

 そして
 いつか帰らなければと胸に描いていた
 ふるさとはそっと
 記憶の向こうにおしやっておくがいい

 

 人影のない里山で
 音もなく
 地の底に吸いこまれていった
 ヤブツバキの花
 いちりん
 そのたましいは
 燃えさかる中天の間に
 翅をひらいたまま溶けていった
 蝶のたましいと
 なぜか
 姿かたちがそつくりなのだった
      (全四連中の三、四連)

 

 もはやすべてがニュートラルで、ここには田口三舩の詩を透しての、恒心と志節がしっかり映し出されている。
 そのほかにも、厳然たる詩人の眼の「生まれてはじめての景色を見るように」や、微笑とペーソスの「吊り雛」や、不易流行を提示する「塞の神の立つ峠」や、冷徹な自己観察の「先様が断りさえしなければ」などの、自在で多様な詩に出会える。

(会報298号より)

 

田村雅之詩集『碓氷』

                                        関口将夫


  「碓氷」―うすい―と口をすぼめ語尾を下げると、幽かにことばが湿り気をもってくる。「碓氷」は万葉集にも「宇須比」とあるから、奈良時代前から使われていた地名だろう。「碓氷」は東征した日本武尊の幼名(小碓の命) から来たとも「山の東に向いて朝日の昇るよう、ほのかにうつろうて美しければ…」から来ているとも言われているようだ。(群馬の地名・森田秀策)碓氷峠は霧の中から現れると言えるほどに霧が発生する。山霧は匂いがしてから現れる。まるで生き物のようである。碓氷峠で私は何度もその霧を吸った記憶がある。霧のあと景色がうつろい美しいのだ。
  詩集『確氷』を手にした時、あのうつろいの美しさが漂う装頓に驚いた。トライアングル図の下層は霧に包まれているように思えた。
  「碓氷へ」の文中に/単にわたしにとっては/懐かしい故郷の地名に過ぎないのだ/と反語として言っているが、「わたし」と言う間は、そのまま故郷にそそがれる間と同質のものであり、「わたし」と直結している。田村雅之にとって十二冊目のこの詩集は、その意味でも「わたし」を「故郷」を俯厳した詩集だと思った。そしてまた「故郷」とは一人称で語れる「場所」なのかもしれないと思った。

 「声七変化」は栞で佐々木幹郎氏が深く書いているので、私は「寒螢」に触れたい。

 

 森の奥底に息づく
 ふしぎな生きもの
 何か物言いたげに
 羊歯の葉蔭にひそむ妖精に似た
 狐色をした容量のかるい口髭のゆらぎこそ
 たしかにあの世からの
 使者なのだ


もうじき死ぬであろう、秋の終りに現われて晴くコオロギを、あの世からの使者だと言うのだ。そしてすだく虫の音はやがて、あの世とこの世の境にある一扉を開ける軋みの音に変わる。


 しだい次第にその音量は
 反響に反響を重ね
 まるで宙全体が鐘で覆われ
 割れんばかりの轟音に変化するのだ

 

一匹の虫も、花も人も死をまたぎ、あの世ヘの扉に触れる一瞬の軋み。実体から空虚(うつろ)へと移行するその震えだと言うのだ。
 田村詩には語りのようなリズムがあり、語音を大切にしている。しかし、いつも平易なことばで詩作をしている私などは、語彙のつまづきが多く、時々リズムを乱して読まなければならなかった。「睥睨(へいげい)」「慷慨(こうがい)」「細蟹(ささがに)」「蹌踉(そうろう)」「鳥総立(とぶさたて)」「須臾(しゅゆ)」などなど多くあった。「碓氷」という地名の上を、田村詩の地平を、一羽の鷹のように「旋回」できたことをうれしく思っている。

(会報298号より)

 

(注)(**)は本来ルビであるが、HPでは形式上このように表記しました。(HP担当者)

 

原田道子詩集『かわゆげなるもの』
一茎の花にならん          篠崎道子


 原田さんは、語感をとても大切にする詩人である。語感とは、発語されるときの音色というか、音声の感じである。
 だから原田さんによって選び抜かれてキーワードとなる語は、その語源にまで遡られ、原初の発声音が毀されないよう気遣われている。読者はその語の前でふと立ち止まり、おおどかな語感に濯がれ、やがて頁を繰るうちに、象徴性の高い意味合いを含んだ語であると、気づかされるのである。
 冒頭の詩「種のシャッフル」の出だしを、例にとってみよう。

              こみや
 ふりそそぐ映像が乱れる西の子宮

 謎めくイクサは種のシャッフルだ。と誰がいったか

 

 〈海岸線〉にさばしる

 〈ゆき〉のイクサが礫になるまえに


 「子宮」を「こみや」と読ませる。単に生物の生殖器官に止まらず、母なる地球をも意味するのでは? 「イクサ」は、太古の礫や槍によるものから、現代の核兵器による戦争までを包含するのでは? 「ゆき」を「雪」としないのは、ゆきゆきてかへるところなし、の人類の行方を暗示しているのでは?等と感じ
取れるのである。
 さらに原田さんの詩には、発語以前の擬声語・擬態語が鏤められているので、元始の巫女が舞踏しつつ唱えた呪句・呪文の韻律と音響の世界に、いつしか取り籠められてしまう。逆に見れば、その世界を出現させるために、必然的に語感を大切にする姿勢が貫かれているのだろう。
 さて読み進むうちに、人類という形あるものになるだろう未分化な微粒子(ぼくらであり、かわゆげなるものであり、ひいては地球上の生物すべて)が、水辺で身じろぎしながら囁き合っている感触が、肌に伝わってくる。ぼくらは、代々受け継がれた種の遺伝子を、確実に繋いでゆけるのか、異なる種に変えられて、銀河系の外へ跳ね出されるのではないか、等とゆらぎ続けるのである。
 しかし詩集の後半では、地球の崩壊、人類の絶滅という一般的な暗黒の近未来図に、原田さんは柔らかに拮抗してみせる。前半の不分明なゆらぎの薄闇の中に垣間見えていた「ゆき」に、導かれるようにして、「月」や「花」の有り様に目を向けてゆく。
 「春の栞」の結び近くに、触れてみよう。

 

 〈みず〉と〈つち〉がある

      あめつち

 もえさかる天地のただなかに栞をたどって還れるのは

  (略)

 死デハナイ身ノ丈ノシルシに
 ひょんと咲いてみせる たんぽぽの
 ひょんと書をあげようとするたしかな春意


 そして「たった/ 一度でいい/花にのみならんと」と、詩人原田さんは願うのである。

(会報298号より)

 

井上英明詩集『日常から』
 強靱な孤              志村喜代子

 

 詩集『日常から』。五冊目の詩集誕生にしては、簡潔明瞭な題、いや逆に平常心ゆえの居直りの無敵ささえ感じさせる。日常は、日常でしかなく、されど落とし穴の深さをなんとしよう。自己の自己自身への関係の仕方、この鍵のかけ方によって"日常とは鋭角すぎる″井上英明なる日常が立ち上がってくる。詩の行を追ってみる。
 虐げている者を蹴散らし この身を開放してくれる王 新しい時代の到来「待降節」、許すことと諦めることのとり違いをしてはいないか「降誕祭」、罪を犯したことのない右足が痛むのだ「灰の水曜日」。彼が信仰する
神への遺恨にちかい愛は、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」で祈りが、同化が、呪文が、″気づかなかつた私がここに居る″に帰着する。「防災センターにて」では、行方不明者の名簿の中に 知り合いがいなかったことで安堵する。傷みの連鎖は消すに消えない痕を刻む。些細なことで取り囲んで 自尊心までも剥奪していくやり方「日常から」。作品が糾弾する孤への強靭な視線は、鮮烈である。胎児にとって 生まれ出るという自然これしかない「ニュースを聞きながら」、でも俺の視界が揺れたことはなかつた「デジタルカメラを買いに行く」、今も私を振り分けようとする存在を黙認する隣人に 私は恐怖するのだ「異国にてⅡ」、たった一人の女の夢にさえ答えぬ科学は「美しい言葉Ⅰ」、安らぎは彼女のためにだけ「美しい言葉Ⅲ」は、第一連で、嘆き悲しむ聖母の描かれた小さなカードの裏には 彼女の一生がたった六行で語られていた//洗礼名 インマクラータ/一九二二年誕生/ 一九二二年受洗/ 一九四六年来日/ 一九九七年帰天/享年七四歳//第六連では、穏やかに時代が流れて久しい 石を投げた時代が 今日のための過渡的なものであるというなら 今日の不条理を 彼女のように生きなければならない 全身で受け止めて 私は//。
 孤が放つ自光を、凝視する強靭な詩群だ。

 

(註 太字=引用部。編集)

(会報297号より)

 


堤美代詩集
 堤美代『花筐』について     浅見恵子


 亡き人たちへの想いを描く作者の詩から感じるのは、彼らへの篤い想いと同時に、今も生き続ける自身へのかなしみである。大切な人を失ってなお、何故生き続けねばならないのかという思いは、同じ経験をした人なら誰しも抱く問いだと思う。この「花筐」には、それでも生きるしかない、という決意が感じられ、単に弔う詩集ではないと感じる。
 「髪に留めたカチューシャが/真ふたつに割れて落ちた(夕顔)」‥…。そのときから良くないことの始まりを予感させる。続いて、先に逝き、自分まで繋がる道すじを作った祖先たちが夢うつつに現れる。それらは自身の実感というより夢物語のようである。近づいてくる黄泉のにおい。無意識の漠然としたものだった不安が、次第に輪郭を見せ、「死」として姿をあらわし始める。
 先の戦争を生き抜いても、歳を重ねれば皆に等しく死がおとずれる。「わたしは 死んでなどいない(離見)」。作者は今も戦っている。死と。しかし作者の身近な所では、次々と戦いの中で倒れている親しい人たちがいる。「想い出すためには どうしても/忘れなければならない(道行)」。死者のことを思えば思うほどに、生きる自分が濃くなる。そして日常の中で、いつしか死者のことを忘れている自分に気が付く。それは悪い事ではない。しかしそれに気付くことは苦しいことである。
 亡き人の骨をひとかけら欲したが、家族でないためにかなわず、「生きているうちに/噛み切っておくのだった(骨箱)」とこぼす一節にはドキリとするが、共感せずにはいられない。遠慮なんかしないで、私にも分けて欲しいと一言言えたらどんなにか楽だろう、この辛さが救われるだろう。そんなことを思っては駄目だ、家族が一番辛いのだ、というのが模範解答なのだろうが、それでも、私もその人を愛していた! そう自由に言え、それを許してくれる世界であって欲しいと、願わずにはいられないのは我が儘だろうか。
 紡がれている詩のひとつひとつから、命が見える。命を持って作者と関わり、一緒に生きてきた人たちの最期の命の輝きが、この詩集の輝きを強くしている。それは読者を、時につらくする。しかし、そのつらさに涙すると、不思議と慰められた気がする。それは、このかなしみを知るのは自分一人ではないのだと知るからだ。共感は救いである。
 大切な人がいなくなったことを、時に忘れながら、それでも生きる作者は、言葉として彼らを思い出し、再会し、詩として蘇えらせているのだと思う。そこには、かなしみと、愛よりも熱い想いがある。詩を書かずにいられなかった、書く事で生き続けられた作者の姿が見える。

(会報297号より)

 


金丼裕美子詩集
『ふゆのゆうれい』を読みました     原田 鰐


 やさしい雨/水になる日に/水のレストラン/ふゆのゆうれい/ゆうれいの夜/浅黄桜/わかみ雑貨店/おすそ分け/古書現生/ソナチネ/波打ち際/八月、/白いこども/目覚めたら八月のプールの底にいた/不明/透きとおるまで/置き場/小石/隙/もう、月が出ている/末吉/ささやかな旅/二人多い/さよならだけが/あとがき
 なんと、日次のページからタイトルを書きうつしたらすでに「詩」。選ばれた言葉のてざわり、花びらのような彩り、生きづくグラデーション。組みあわせた文節は、ときにうねり、波打ち、一瞬、眩しかった視界を濁らせる。コラージュの宇宙だ。そう、金井裕美子さんはタイトルの達人でもありました。
 前作、「わたがしとけいとう」(この読みずらさがいい)から十三年を経て、第2詩集「ふゆのゆうれい」が刊行された。あえて詩集として一冊にまとめることは、単一の作品では見えてこないものに、もっと感性全体の世界として確かな重力を与える。この二冊の間に、十三年という月日の流れが変貌させたものと、反対に二冊に通底するもの、それらがはっきりと見えて来る。ぼくのなかで、第一詩集の世界を代表して感じさせる作品は「コーマ君」「ヒア・カム・ザ・サン」など。当然、現在とは、社会情勢、自身の年齢、その他全てが違う。ときにかったるい雰囲気のかた隅に美しい感傷をちらつかせながら、しっかりと風に向かって前を向いて立っていた。陽はまた昇る、のだ。表紙も有村真鐡さんの暖かい色調の優しいイラスト。
 ひるがえって、十三年後の第二詩集「ふゆのゆうれい」。表紙も内省的な雰囲気にチェンジ。世はまさに、デフレ社会の徒労感が充満し、TVのバラエティー番組はやけっぱちの笑いにあふれ、人々はつつましくも内向きに生きる超保守社会。表紙から、こちらをみている詩女の肖像。私は見ている。乗り越えがたい何か、どうしても理解が及ばない現実、直視するとこの世は生きる気力を失いそうになる、が、それでも生きる価値がそこにこそある、と。


 たわいない話の間に

 死をはさむと

 わたしたちのことばは

 うまれるそばから泡つぶとなって

 頭上はるか

 うみのおもての眩しさへと

 つぎつぎのぼってゆき

 はじけて消えた

 黙るしかなかった

 魚群は

 一瞬、烈しく乱れたあと

 何事もなかったように

 旋回しつづけていた      (「八月、」)

 

 だが裕美子さんはリアリストだ。それ故、いつもこちら側の現実が意識されている。ゆうれいは終電車で駅に帰るし(「ふゆのゆうれい」)、人生はやはり二人分多く生きるものだ(「二人多い」)。人はいつも途中経過を生き、なのに今という瞬間はいつも到達点なのだ。

(会報297号より)

 


愛敬浩一著
『詩のふちで』を読んで    田口三舩


 この著作は、昨年十一月、愛敬浩一氏が以前に発表した評論・詩集評等をまとめて《詩的現代叢書8》として書肇山住より発行されたものである。全体が四部に分けられ構成されている。
 第一部は、一九九八年から長年にわたって【鰐組】に連載された詩を中心として、著名作家の小説をも含む幅広い評論・随想・作品評等三十数篇からなる『詩のふちで(抄出)』を収載し、愛敬氏の文学に対する真摯な姿勢と造詣の深さを感じさせている。
 第二部では、第一部以後に書かれ【東国】【鰐組】等に発表したもので、下村康臣・村嶋正浩・相生葉留実・清水博司・布村浩一・中上哲夫・伊藤芳博・田中勲・吉岡良一各氏の詩集について、的を射た鋭くも温みのある論評が展開されている。
 第三部では、【上毛国語】【東国】【上州路】等に発表した群馬にゆかりのある詩人松本悦治・富岡啓二・清水房之丞・岡田刀水士・萩原朔太郎のほか高村光太郎をとりあげ、各人の生きた時代を背景にして愛敬氏ならではの詩人論、詩集評が展開されている。特に、夭折詩人に光を当てた論説は胸に追るものがある。
 第四部では、【詩的現代】に発表した『詩と歌謡』が収載されている。詩と歌謡については、確かに通底したものを持ちながら、なかなか評論の俎上に載ることの少ない分野であり、愛敬氏の豊かな人間性と幅広い識見を示すものである。なお本論から逸れるが、【現代詩手帖】3月号の池辺晋一郎氏との対談の中で述べられている谷川俊太郎氏の言葉「詩は、どんなにがんばっても意味から逃れられないわけでしょう。音楽のほうがぼくの理想に近いわけですよ。」がふと頭をよぎった。
 順序は前後するが、第一部の『詩のふちで』は大分以前に出版を考えていたらしく、既に用意されていた今は亡き小山和郎氏による「跛文」もここに掲載されている。いかにも小山氏らしい着想で、しかも実に当を得た文章なので、その一部を次に紹介してみよう。
「改めて彼のフィールドの広さには驚かされた。そのうえ私が未見の人を対象にしている場面もかなり多く、大袈裟に言えば藪知らずに迷い込んだような所もあった。」・・「もともと彼の詩に関わる基本は、詩とそうでないもののあわいで、フェアかファウルの判別を任された線審に似ているかも知れない」
 何とも言い得て妙。詩人としての愛敬氏、評論家としての愛敬氏、その二つの顔が小山氏の眼を通して見事に浮かび上がってくる。
 ところで、装画の坂上清氏は、私の詩友であり、詩人碁会。文人碁会を通じて囲碁の好敵手でもある。末筆ながら愛敬氏並びに坂上氏の益々のご活躍をお祈り申し上げて筆を欄く。

(会報296号より)


決別の儀式
― 関根由美子詩集『水の記憶』―‐
                      井上英明


 葬儀の中で僧侶が棺桶に水を振り掛ける、あるいはキリスト教の葬儀においてもそんな場面がある。差して違いはないだろう。魂を聖別しあの世に送るそんな意味だろうか。聖別してこの世から遠ざける、死者の怨念を振り払う、そんなところか。
 関根の「水」は少し違う。水は断ち切るものであると同時につなぐものとして存在させている。「あの人」と「わたし」を隔てる水の流れに橋を架け、さらにもがくのである。橋はこの世とあの世を結ぶものとしてそこに在り、関根はそのほとりに居て、もがいているのかもしれない。
  橋の袂で
  わたしが わたしを曳き留めている
  向う岸から
  しらじらしい声で
  あのひとが わたしを呼ぶ
         『みえない橋』最終連
 あのひとの声を「しらじらしい」と表現しなければならない切なさと、決別の儀式がそこにあると思うのだ。優しさだけでは詩を書かない関根の姿勢だろうか。
 『きざむ』という詩にもそれが言える。大根を相手に「しろい肌を/断ち切ってやる」や「包丁の切っ先で/俎板にあまたの傷をきざみ」は日常の風景であるが、この風景に感情を重ねていく表現方法が面白い。『留守』という詩は、出掛けに玄関の鍵をかけたまま、「忘れて」置いてきてしまったというほほえましい詩だと思っていたが、読み見返して思ったのは、橋を渡る決意としてそこに残したのだと気付いた。
 『残り火』においても、「にぎりかえしてくれた手が/残り火のように/帰りの/電車のつり革を揺らしている」と書く。一見、病気の「あのひと」を思いやる抒情詩のように見えるが、揺れるつり革に「あのひと」の消えていこうとする命をみている。視線は客観的で、抒情詩でありながら「あのひと」が登場する詩は冷静なのである。仕掛けを織り込みながらしたたかに作り上げていると感じた。
 関根はもう一つの顔を持っている。『月夜野河原』は、万葉集の東歌を引用している。羽化したばかりのトンボがはにかむ少年に見え、少年の歩みによって波立つ水に濡れた少女の関根は、いたずらっぽく小石を拾って少年に仕返しをしようと企む。東歌を下敷きにしながら、自分の世界を作り上げている。この詩も秀作である。また色の表現、「薄鈍色」や「はな浅葱色」などの使い方も面白い。
 関根が「あとがき」で、水への思い入れを書いているが、誘ったり拒んだりする水の魔力だろうか。人は土に返るだけではなく水にも返るような気がした。
(会報296号より)

 


樋口武二第七詩集『呼ぶひと、手をふるひと』
 「魂乞ひ」のものがたり
                     金井裕美子


 「『恋ひ』というのは『魂乞ひ』である。恋人の魂を乞うことだ」と言ったのは折口信夫。これを引いて、国文学者の中西進は著書『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』(小学館)の中で、次のように述べている。〈古代では魂は浮遊するものと考えられていました。魂の結合こそが、恋の成就でしたが、それがなかなか実現しないので、古代の「こひ」とはつらいものでした。逢いたくても逢えない切なさ、これが「こひ」だったのです。〉
 この詩集全篇の底深くに、静かに流れているのは「こひ」。言葉では言い尽せぬ恋情、古代から変わることのない「魂乞ひ」のものがたりが語られている――と、読んだ。
 ものがたりの事柄については、事実であるか、無根の夢であるか、詮索する必要はない。ただ、そこに書かれたことをたどって、溢れる言葉で構築された散文の形に馴染む頃には、樋口詩のものがたりに引き込まれていた。
  ここでいう″ものがたり"の「もの」は、「物」。「物が憑く」にも通じる畏怖の対象、あるいは霊、あるいは″そのひと"。目にみえなくても確かに存在している、すべてのものの本質といってもいいかもしれない。そう捉えて読み進めると、呼ぶひと、手をふるひとの気配が強まり、ついぞ忘れていた傷つきやすい初々しい感情や埋もれていただいじなものたちが、優しく呼び起こされる心地がした。
 つじつまの合わない出来事。やりどころのない願い。押さえきれない思慕の念。心当たりのない裁き。どこか見慣れた景色の中に、懐かしい家や場所がある。探し求めているひとがいる。切なさとかなしさ。遠くはるかな記憶。そして、唐突に水を差し出され、その水を素直に飲む男がいる。しっかり握る手がある。雨のにおい。時間は止まったままだ。錯綜し、出会ってしまった。ただそれだけのこと。―― 「夢」「幻」と思えば夢となり、幻となり、ここには時間、空間、場合を越えて、互いの魂を乞う男と女がいる。
 日常に片足を残したまま、もう片方の足を、暮しに潜む異界に踏み入れたしまつた時、人は思いがけない真実を見てしまうのだ。"そのひと"をめぐる「魂乞ひ」のものがたりに見え隠れする真実。それはかすかに妖しい芳香を漂わせている。この香りこそが、豊かな語彙と叙情的な表現力に支えられた樋口詩の魅力といえるのではないだろうか。
 「I章 日常という序章」が四篇、「Ⅱ章 狂おしい時間に」が十一篇、「Ⅲ章 日常から森へ、」が十二篇。全二十七篇。目次も兼ねた各章の小扉には、行仕立てにタイトルが列記されていて、短詩然としている。このような趣向を凝らすあたりにも、樋口さんの個性が現われているように思う。

(会報296号より)

 


大塚史朗詩集『桜など』における原点の表象への誘い
                         斉藤守弘

 

 このたび大塚史朗氏の21冊めの詩集『桜など』が刊行された。そのあとがきでは①と②の章は半世紀以上前に書いた作品を載せたと著している。そのうち作品「舟ーIⅡⅢ」や「音の詩」は、氏の原点と思い拾い出したといわれる。そこで読者層の一人として、大塚史朗詩の原点の表象の探求への誘いを覚えるのである。
 著者大塚氏の原点とは、私は第一詩集『頬かぶり』(一九七六年刊行)をみるとわかる。"一九七五年五月/おれたち駒寄農民は/長い間かぶり続けた頬かぶりをとって顔をさらし/言葉をさがし/火をもやす"
 このように、詩は胸の火に炙りだされた言葉である。
 知られているとおり大塚詩作品には花や草や木などが多く表象されている。『桜など』においても、桜ばかりでなく、あかい花、あざみ、牡丹、のびる、松、捩花、栗など、それぞれ凄く静かに現われてある。これらはそれぞれが原点の土の上に立つ表象であり、胸の中の火なのである。
 私は大塚詩人こそ抒情の伝統と概念とを打ち砕いた反逆青年であったと考える。その自負心は強く、文学の正道を知り、機能主義の外来を拒ぎ、その表現体に噛みつく。
 資料として第二詩集『生産』(一九七七年刊)の作品「赤まんま」の初連をみてみる。赤まんまの火の表象である。
”〈おまえはうたうな/あかままのうたうたうな〉/とうたったなかのしげはるさんよ/あなたのうた大好きだったが/今も尊敬しているが/おれはうたう/あかまんまのうたうたう"
 おれの胸郭にどっと/侵入してくるのだ、という文字と言葉は何者にも変容を許さず、置換えることができない。言い換えれば、暗示ではなく比喩でもなくそして象徴をしていない赤まんまである。
 そうして詩人の抵抗と反逆はどのようであるべきか―抒情詩、象徴詩、プロレタリア詩など素養にたちながらもそれらの表現の機能性に噛みつく―胸に火をともして言葉をさがす― この新しい表象に心を萌やす―これが大塚詩の原点ではなかろうか、と、それぞれの問いが胸をよぎり、拡がり、立ち止まりもする。しかしこの上なく充実感に誘われる。その原点の表象の問いの領域があまりにも大きいからである。
 別の角度からみると大塚詩風は散文調であるともいえると思う。しかしそれは一人大塚氏の問題ではなく、主、述、日、補などの文法、とりわけ主格の貌の出誦でなければ満たされなくなりつつある読者層の文章文法観のひろがる土壌のテーマと思うものである。

(会報296号より)

 


愛敬浩一詩集『母の魔法』

 母のつぶやき

                竹田朋子

 

 大好きな詩集である。
 『母の魔法』
 白い表紙に、愛敬浩一詩集。詩的現代叢書。双方の黒字に護られるような赤いタイトル名に、私は既に魔法にかけられたように心弾む。
 淡いピンクの一枚を繰り、目次へと進む。二十五篇から成り、田口三舩氏の跋文、そして、あとがき。もちろん、あとがきから拝読する。私のクセなのだ。
 上毛新聞に掲載されたものが大半で、それゆえ「必ずしも分かりやすくはない私の現代詩も、これで少しは風通しがよくなっただろうか。」と記されている。
 愛敬さんは吾妻郡生まれ。私も同郷である。それだけに言葉や内容が懐かしく、「あらっ?」「そうそう!」と共感、共鳴の連続である。
 たとえば「裏榛名」に登場する市川先生とは、著名な歌人である春男先生では? 「妙義」これはもうそのまま私の小学生時代の運動会の光景でもある。愛敬さんは「わくわくしたものだ」そうだが、私は大の運動オンチ、泣きたいほどイヤなリレーだった。
〈赤組は赤城で/白組は白根/ここまでは分かるが/榛名が青組/妙義が緑組ということになっていて/なぜそう決まっているのか不思議だった/それはさておき/やっぱり盛り上がるのは/リレーで/「アカ勝て」とか「がんばれミドリ」とか/声が掛かった/そう言えば「ミドリ」の妙義も/もう紅葉している〉。
 この結びに(あっ、さすがに!)と心惹かれた。展開の妙、とでもいうのだろうか。角度を変えての結び方である。それは随所にみられる。
「赤城山」〈どこか五月のような走り方だ/私の誕生月、五月よ〉。「花を見に行く」〈奇跡のような一瞬に出会うために/私はやって来た〉。「白根」〈たとえばその色のコップで汲み取っても/その色を持ち帰ることはできない〉。「十一月」〈早咲きなら椿も見られようという時期で/そこに「春」が隠れていたりします〉。
 愛敬さんは意識してこのような結び方をされるのだろうか? いえ、自然に湧き出てくるのだ。だから、詩人なのだ。
 それは、圧巻の「母の魔法」も同様で、〈たぶん私はその時/何か、とても大切なことを学んだのだと思う〉。
 何て真っすぐなのだろう。そして温かいのだろう。詩もまた「人なり」なのだ。
 この詩の中での、母がシャツを畳み、ぽんと叩く行為に似たことを、私もまた幼いころ母から受けた。
 その、詩はあまり得意ではない、八十六歳になる本好きの母が「心に響く詩集ねえ」とつぶやいた。
(群馬県文学賞「評論・随筆部門」選考委員)

(会報294号より)

 


堤 美代一行詩集『ゆるがるれ』
 死と生への凝視の力
                                                                  大橋政人


 『あの子じゃわからん』『野の銃口』に続く三冊目の一行詩集である。一行詩について堤さんは『あの子じゃわからん』の「あとがき」で「身の内からあふれる言葉に急がされるようにして詩句を書き止めた」と書いている。行分け詩がまどろっこしいほどの切迫感の中、自分の存在を足元から揺さぶられるような激しい自己凝視の中から堤さんの一行詩は始まってきているようだ。
 人間は年をとり、死が近づくにつれ、なぜか生と死に鈍感になるものである。それは、死を克服した結果ではなく、ただ精神が磨耗しただけという場合が多い。今回の一行詩集の「あとがき」で「詩を書くとは、己の魂の在り処を探し続けることに他ならない」と書いているが、このような一種の求道心が核にあるからこそ、そこから「叫び」のような鮮烈な詩句が放射されてくるのだと思われる。
 
 わが肉(しし)を荼毘(だび)に付す朝半夏生(はんげしょう)
 死者数多(あまた)胸に堰(せ)く朝桔梗咲く
 庭に黄泉(よみ) ひらかれておりトラノオ踏む
 辛夷散るひとひらは骨片ひとひらは花
 湯灌してこの世の庭は牡丹雪
 雨あがり冥界を嗅ぐ銀木犀


 半夏生にも桔梗にも辛夷にも死がへばりついている。激烈な生と死の対比である。少し重厚感過多の感もあるが、堤さんはあくまで「死」に拘る。「死」と釣り合ったときだけ、「生」は驚くべき美しさを露現させることを知っているからである。ただ、見方によってはその表現に大仰さが否めないのは、堤さんの中で生と死が別在していて(二元論が構築されていて)、その二つがせめぎあっているからである。生と死、肉体と精神、自己と他者、二元論は様々な場面に潜んでいるが、それはいつでも重々しく、そして重苦しい。


 啓示とは桔梗(きちこう)という名の真紫(まむらさき)
 「もう、これっきりです」と立葵紅(あか)
 通り雨桔梗ふふふっと笑まひけり
 験される嘘あり噴水横殴り


 こんな詩篇もあった。同じ「桔梗」でも前出のものと違って、花の「真紫」そのものが言葉のない「啓示」になっていたり、「立葵」があからさまに全身を見せていたり、予想もしていなかった「噴水」の「横殴り」に自身、一瞬、言葉を失ったりしている。その瞬間、生と死という二元論がどこかへ吹っ飛んでいったのか。この軽みと爽やかさは、生と死の和解のせいか。一瞬、そんなことまで思わせるように詩がすっくと立ち上がっている。

(会報293号より)


(注)作品中のルビは( )内で表記させていただきました。(HP担当)




詩集『野道で』を読んで 

                    平野秀哉


 大塚史朗さんから『野道で』という詩集が送られてきました。集中「自死について」にこんな行がありました。


 八十年近い生涯を回顧する
 いつも労働のくり返しの歳月だったが
 食べたいだけ食べ 飲みたいだけ飲み
 書きたいだけの詩を書きなぐり
 その多くを紙に残し
 お人良し典型の健康な女とくらし
 頭を悩まされたことのない娘たちも嫁ぎ
 孫もつつがなく大きくなり
 「いつお迎えがきてもいいんだ」とうそぶき
 女房どのをおびやかして
 後生楽を堪能している日々だが
 つとめて書斎にこもっているのは
 まだまだこの世に
 言いたいこと 残したいことが
 あるからだろう


 八十年近い生涯――とあるが私とほぼ同じ年代だから共通する思い出があってなつかしかった。
 ネカサ泳ぎ――仰向けになって目と口と鼻だけ出して手足を動かさないで流れを下る。何もしないで終点まで流れつくのだ。私たちもやったことがある。利根川の清列な流れの中で川の音をききながら。
 フルヤのモリ――古屋の漏り 茅ぶき屋根の家が古くなって雨漏りがする


 我がムラも江戸から佐渡に行き来した金山街道
 上州の宿場町だった
 本陣があった 宿屋があった 二分金屋

 とうふ屋 こんにゃく屋 餅屋 女郎屋もあったのだ
 一九六〇年代まで 覚えているだけで茅ぶき屋根の家が 十五軒
 十五年も大きな戦争が続いたので 食糧増産が国策
 カヤ場という所はすべて芋畑かおかぼ畑になり
 茅ぶき屋根の家はこの世から消えた


 消えてしまったのは茅ぶき屋根だけではない。

 男女に近隣も寄り合って生きて来た長年の習わしが
 壊れてしまつたのは
 どうしてだろう (ひと)


 作者は永い眼・優しい目で人生を見つめています。そして詩を生み出しています。
 十九冊目になる『野道で』は
 まさに 時代という大河に流れ流されて行った人々に思いをはせながら(あとがき)書かれた作品群です。

(会報292号より)




樋口武二詩集  「ものがたり あるいは、ゆらめく風景」を読む

                                 佐藤榮市


 この詩集の表紙一隅にはキュートな絵があって、蘇芳色?に白いラインのある巻貝の虚ろから、黄橙の茎が垂直に伸び、緑の芽は二股に分かれ、茎と同じ色の蝶が止まっています。乾いた機体から濡れた抒情の目が開き、超次元に展翅するものを呼び寄せているみたい、160のコマに分断された詩風景のイコンのように眺められました。一コマの行数は4から7までの間で収められ、初読の折りは、5なら5と定めた方が構図的には鮮やかになるのではと感じましたが、樋口さんは反定型の意識こそが肝要とお考えのようで、このあたりの考えの違いは、何十年も俳句形式で物に対してきた僕の反省とすべき点なのかも知れません。僕も眠りが浅くなると夢を見ているわけですが、いつも不思議に思うのは、常にその夢が物語的なものを形成することです。現では全く些末な記憶でしかないものが物語の核となることにも驚いています。樋口さんのこの詩集での詩法は、付加されるもののムーブメントが、不条理とか非在とかの輝きによって、ぼんやりとした巻貝のようなものをレリーフすることにあるので、乾いた叙情を目指すといわれるのは、そのことを差しておられるのでしょう。ひとつの意味らしきものが、指示語と動きの連続性のなかで鈍い光沢を得て、閉ざされることのない次元の空洞を明示しています。寄せては返し重なる言葉の波が、トータルな物語への差異となって、独自な視野を開くまでには、まだ間がありそうだし、僕もなかなかそこまでは読みこめませんが、好きなフレーズはたくさんあって、楽しく読むことができました。


そういうこともある、

が口癖の知人が

行方知れずになっている

片方だけの革靴と

草群には

セイタカアワダチソウ(47)


空が高いから

野に幻が満ちている

揺らぐような

初夏の木立のなかに

叫ぶように立つ少女の影(86)


具合が悪いと聞いて

洋菓子をもって

Kの見舞いに行った

行方不明の兄が

足音のように付いてくる(90)


そっと

包みこんだ手を広げると

小さな声を挙げながら

林のなかに戻っていく蝶

昨日の夢のように

閉じられていくものがたり(110)


夢だったかと枕をはずすと

昨日のことも、明日のことも

すっかり忘れはてて

田圃の中程で

旗を振りつづけている(158)


 好きなフレーズの少ししか紹介できませんね。残念。すらすらと快い、ひと時の読書でありました。

(詩誌「詩的現代」会員)

(会報291号より)




「ネオ・エッダ」ふたつめの言い訳
                    佐伯圭


 一月に「ネオ・エッダ」という詩集を出した。「どなたに詩集評を依頼しましょうか」と、群馬詩人クラブの泉さんから連絡があったが、「自分で書いてもいいですか」と勝手なお願いをした。理由は二つある。
 ひとつめは、じっくり読んで感想を書いていただくには時間がなかったということ。「ネオ・エッダ」を読んだ方が何らかの感想を持ち、発言するのを拒むつもりは全くない。だが、詩集評を予め依頼するというのはどうなのだろう。それに、詩集をお送りしたのが1月末から2月の初めにかけてだったから、原稿締め切りまで一ヶ月ほどしかない。お手元に届いたばかりで何か書いてくれと、お願いしずらかったのだ。
 それでも、ふつうのあまり長くない作品を集めた詩集であれば、感想を書いていただくこともできただろう。前回出した「ゴッタ」は、7分冊という変わった形だったが、収められた作品はオーソドックスなものが多く、詩集評も井上敬二さん(「群馬詩人クラブ会報」)と堤美代さん(「東国」)に書いていただけた。(その節はたいへんありがとうございました)
 だが、今回の「ネオ・エッダ」は、たぶん群馬県で出されている詩集の中ではかなり変わった部類に入る。長編詩や組詩と形容できる作品が収められているだけでなく、内容もかなり特殊だ。この特殊性が自分でこの文を書いている理由のふたつめ。
 「ネオ・エッダ」のあとがきに、「前詩集の『ゴッタ』が私の詩の枝葉だとすれば、この『ネオ・エッダ』は、私自身の奥底から汲み上げた根幹とも言える詩群だ」と書いた。
 根幹。「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という梶井基次郎の言葉を待つまでもなく、土に食い込んだ根はその繊毛を伸ばし、腐乱し溶けていくものを養分として吸い上げながら、樹木の、その生を支えている。
 人を一本の樹木に例えるとして、土壌(今ここに存在している自己の基盤)とは何か。日々の生活の中での直接的な体験ばかりではない。書物やテレビ、インターネットを通して得たものも含む、自分を取り巻く世界そのものであるだろう。そして、自分自身の中にも、様々な社会的事象の中にも、腐乱の、醜くも美しい因子は偏在しているのだと思う。
 「ネオ・エッダ」は、自分というインナーワールドの、そして人と人とが絡み合う世界の、その秘部に踏み込み、発せられた言葉の群だと、自負してみる。お口に合わなければ、どうか無理に呑み込もうとせず、吐き出していただいて構わない。
 最後に。枝葉があり幹や根があるなら、花や実もあるはずだ。果実となるべき第四詩集の準備を、実はすでに始めている。

(会報291号より)



富沢智詩集『乳茸狩り』
 哀しみの向こうに      堤 美代


 詩集『乳茸狩り』は、不思議な哀しみの漂う詩集である。

 

  颯爽と

 

 あっ

 言葉なんて

 

 偽善だな

 あそこでお別れだ

 

 キミとボク

 ウジ虫だったなんて

 

 言うな

 言わないよ


 人が日々の暮しの中で生きる時、圧倒的な現実の前で言葉を失い、絶句する他はない出来事に出会う。「人は悲しみに支えられていきているのだ」とは誰の謂(い)いであったか。シニカルで自嘲を含んだ自己否定が、胸の内の深
い空虚を連想させる。裏返えせば、詩というものが、自己の存在を受容し赦してくれる、唯一の証しでもあるのだろう。「夏の日の空に吸い上げられていった」少年の日から、作者は、常に、背に青い空の微光を負っている。

 

  地面の底


 小さな蝋燭の灯は揺れ

 地面の底から振り仰ぐ地上は

 二度と戻れないような丸い小さな空

 足元には何があるのか

 何が居るのか
 竹の根がびっしりと

 息をひそめているのを見た

 

 藪の中で息をひそめて竹の根をみつめている少年は 萩原朔太郎のように、地面のなかにあらわれるさびしい顔をみたのではないか。暗い穴の中で細く伸びてゆく竹の根は、母の胎内の羊水に浮かぶ赤子の臍の緒ではなかったか。計らずもこの世に生まれ出てしまったあて途(ど)なさ。少年のやわらかく傷つきやすい繊細な魂が、細い竹の根のように 地面を探ぐって、おづおづと詩の言葉を吐かせているのだ。

 

  この先 ぬけられます

 

 蹟いているのは確かだ

 たたらを踏んで

 このまま どうする

  ったって

 たってって
 しかないのだ

 

  鳴く虫


 あなたもわたしも

 蛍の時があったんだと思う

 お尻を光らせながら

 思い切り鳴きたかった時が


 自分では制しきれない無意識の底から言葉が湧いてくる。比喩とかイロニイとかでは括りきれない哀しみとおかしみを伴って、詩がこの世とあの世を往き来する。誰にもとり戻せぬ時間と空間の外に引っぱり出される。
 作者は、まるで、山神に呪詞を奉上する男巫子のように、まじないの詞(ことば)を吐くのである。捕え難い呪詞の数々、「水の中で/光るものには/さわるな/」と言いつつ、さわらずにはいられぬ人の世の無常と、現代の終末の予感を詞(うた)う。初々しい少年の傷つきやすい純粋と、魔性を持つ少女の無垢を合せ持った両性具有の森番は、榛名山の山里で、この世と異界を繋ぐ役目を負って、死者を葬い祈りを捧げ、永遠と真理が常に表裏一体であることを、詩集『乳茸狩り』によって伝えてくれているのである。

(会報289号より)

 

 


斎藤守弘詩集
 『戦争放棄』の光亡を見る   磯貝優子


 胸に持っている小粒の石を投じようという思いで、〈社会 現実/変革〉の叢書の一冊としてこの詩集は出版された。一閃の光亡を延ばすことの中で産み出されている。
 1982年の「未明」と今年の「ヨルダン川の垂象」を読んでも、永年にわたり武器を持たない人々に心を痛めてきたことがわかる。言葉があれば人命を尊重する心が伝わるとの強い思いは、人間が抱える声の大きさと心の像を、その現実を、言葉の勤しみ方の仕草をさしだすという意識をもとに文辞を表わしてきたと言う。謙虚な詩精神のように思う。
 だが、作品には、直接的な言葉は少ない。50年前から学んできたソシュール論考、それを発展させたフランスの思想家・記号学者の論理による表現体を具現化している。人間性に根ざす主題の設定は明確で、読むことそのものに興趣は増すが何分にも難解である。
 表徴を用いての言語と思考の呈示。「駅」という文字、音声は感覚的側面を言い、意味内容は裏に秘められている。従って、文字は史実を隠してる。「私」自身が見ていたのは新聞の活字。戦中に軍が関与した慰安婦問題。「私」は住む街の実在の駅に下車するが、「いつもの通り/繁りすぎた欅の枝葉におおわれた」街の駅は何の意味も持たない。「見上げると駅の名は慰安婦と書かれていた」とある。混沌とした脳裏の中か、何処かの奥底の対比、文字と画像の刃を向け合っている迫切にふるえ、見上げた一瞬、単なる言葉として読みとおせるものでない表現体がそこにあり、読み手は史実の思考の過程を辿ることになる。
 「私の庭に羽黒が跳ぶと私の家族の出来事は/次の夏の日が現実になります」
 ハグロトンボといえば、翅が黒いので言うが、私によって名づけられものは家族のことを前ぶれする本能を持つ。その前ぶれとは、無に率いられた今という瞬間を消すというものである。母は昨年そこにいた。無のみちに。今年の夏が現実であることは、永劫、真理、生命、何もかも言葉は無であることでわかる。八年前からのこととして悟ったことが、言葉の無化作用をおこなう。意味されるものを持たない表徴がつくる表現体は、一種の悟りなのだそうだ「一それでいて/羽黒にはなんの罪もない/炎陽のみちをできるだけ多く日陰をつくるように翔舞しています」。描かれなければ存在しない世界がそこにある。もう一つの世界を示すのが表現体と考えられる。
 「二〇〇九年五月が来たら」、「九人称複数形」、「霧瘴」、「再帰代名詞」など、プロセスそのものを読み取る行為を実践する意味を感じる。強固で逞しい、内部的な文学実践のエネルギーそのものの詩精神は一篇一篇進化している作品を展開している。

(会報289号より)




樋口武二詩集『異諄集Ⅱ』の理性

 ―その「像」と「意味」の領域
                 斎藤守弘


 道端で箱を折っている人に、何をしているかを問う。行為に意味は存在するが、意味づけができない。しかし人は無意味でありながら確実に世界の一部を担う。その無意味こそ無限の心であり、失われた「私自身」である。(作品「箱を折る」より)
 このように、主格が二者で自我が一という肖像の方法を使い、さらに裁断の対象となるような三人称を追い払う。そして自我の触手を肖像の領域と意味の領域に伸長をし、言葉の意味作用を劇化することができる、そのような詩集である。
 詩集には主に三つの理性があると思う。一つは実在の無意味と言葉の意味の認識が正確であること、二は、したがって実在という呪縛から解放する過程を詩にしていること。三は、表現体の今日性と文学観の、高い気息。
 樋口武二詩集『異謂集I』では、像の詩劇であった。同著Ⅱではその像に加てんして意味の劇化をする。これは変容ではなくて言葉の極地にみえる同一の地表と領域を見る知悉の上に立つ著者の軸の長さを語ることになる。
 作品はすべて実在の意味の自我を消滅したうえでの言葉の直中(ただなか)の意味、言い換えると実
在の自我の無意味であるので、私たちは劇中の照明を絶やして劇を観るようだ。作品「鬼灯奇諄」の老婆と子供や、「狐の嫁入り」の光のとどかない遠方の意味の行為を見る行い、それが席という行為の意味なのであった。ここでは実と虚とを切る幕はいらず、正確な恣意性の通りみちの末の、恣意性が社会性を内
包する地点のありかを気づかされるのだ。


 昨日あたりから 何となく身体の調子がおかしかった

 どうしようかとおもっていたら、

 今朝になって、いきなり背中から、薄い紙のような羽が生えてきたのである
      ―作品「羽について」より


 ある朝、グレゴール・ザムザがなにか胸騒ぎのする夢からさめると、ベットのなかの自分が一匹の

 ばかでかい毒虫に変ってしまっているのに気がついた。」
      ― フランツ・カフカ著『変身』より


 カフカの中編小説『変身』については、神学、精神分析学、そして唯物史観の階級論の考察など多様にあるときく。いま『異諄集Ⅱ』の読後感とカフカ観を合わせて考えると、執拗に引きずっている言語体・文体観からも解放し、言語道具観を一蹴する使命としてある表現体の今日性と創意のみちた詩集の意味を
痛感するのである。
 青年ザムザは意味の領域にて無惨な死をむかえる。しかし「羽について」にて、白い羽は夢の底でひとすじの希望の領域でせわしく動くのである。「…わからなくなった、と告げて 自死したGの『見える』といった現象は いったい何だったのだろうか」(「見える あるいは独自」より)、自死したGの領域
は死と希望との狭間にという詩劇であった。

(会報288号より)



木村和夫詩集『青景色蛙御殿』
 自在に、「青景色」
               志村喜代子


 萩原朔太郎の「青猫」を読んで“安易にタイトルをつけてきたことを恥ずかしいと思いました”と、あとがきに著者は書いています。まさしくタイトルヘの入念な対峙は、全六十四作品を清々しいまでに牽引しています。また、「19F07」のように、“詩を作ったときの「日付」数字・「月」を表す英字の頭文字・「年号」(西暦下二桁)数字。この方法でつけたタイトルならば、私のイメージ通りに作品の解釈をしてもらえそう”とも書いています。“熟慮の末に” “作品のイメージを壊さないため″この方法であると。この日という日の存在枠は、個に徹し得るゆえの心やさしい拒否であって自在ささえ感じさせられます。書くものと書かれるものとの宙吊り(言葉の不条理)を、身に引き受けていくことは並大抵ではありませんが。


     ただうつそうと緑が厚い


ただうっそうと緑が厚い
これがこの時季の田舎の身体だ
行き交うものもなく
静まり返った田舎路を
ひとりで歩いていると
太陽の光を
十分に浴びた

大勢の葉のささやきが
わたしの皮膚を透って
ひとつひとつの細胞を震わせていた
この感触をえて わたしは
生きていることの意義を実感じ
この歓喜(よろこび)を わたしのなかの風景に
しっかりと刻んだ
そして生きることが これほど濃く
厚い緑だとはおもわなかった


 著者からほとばしり出る詩集全編を貫く「青」、そして表紙の緑は生命の色です。″青猫の青は氏の身体を流れる血液の色だ”とおっしゃるように。この作品では(ただうっそうと緑が厚い)田舎路であって、他の描写を待ちません。(これがこの時季の田舎の身体だ)と。自然との一体化の中で緑あふれる
風景を、(田舎の身体だ)と。緑なす木々や草々を(大勢の葉)とも。それらのささやきが(わたしの皮膚を透って/ひとつひとつの細胞を震わせていた)と、厚い万緑の気を細胞内に取り込んでしまう。そして(生きていることの意義を実感)するまでに高揚するのです。然り「歓喜」であり、(生きているこ
とが、これほど濃く/厚い緑だとはおもわなかった)に至るのです。詩作品のひとつひとつにこの(厚い緑)は描かれているのですが、(濃く)かつ著者の(厚い)“緑”にどこまで肉体化でき、(生きること)を知覚できるかと自分に問う時、足元が揺らぎます。
 何度も描出される“天然” への慈しみと祈り、「田んぼ」=「蛙御殿」の細い稲苗の緑が分葉を重ね、穂手み(米という果実を実らせる)、いのちの「青景色」を宮沢賢治のエスプリと朔太郎の青い血液で、自在にさらに自在に染め上げて――。
(会報288号より)




臼井三夫詩集
『思い川』を読んで      大塚史朗


 臼井三夫さんが群馬詩人会議に入会したのは'93年と久保田穣さんが寄せている<跋文>にある。今から21年前だ。もっとずっと前から「夜明け」に書いていたような気がしていた。ほとんど発行ごとに作品を寄せていたからだと思う。’59年生まれだから34歳の時からだ。詩の多くは身近な生活の中や思い出から生まれたものだ。長く多くの詩を書く仲間とつきあってきたから直感した。こういう詩を書く人は、生涯書き続けていくだろうと。
 臼井さんの職場は、伊香保の「グリーン牧場」だ。茨城大学農学部を卒業して、新潟大学大学院修士課程を修了している。
「習慣」という作品に
 <わたしは牛飼いの生活から/引退することになった/二十五年間続けてきた/朝の搾乳がなくなり/一年が過ぎようとしている>。が書き出しで、中ほどに<朝の搾乳のときは/午前三時半には 家を出て/四時前には 牛舎に入っていた/搾乳機械の自動洗浄を入れると/待機場まで 牛を追ってくる>。
 牛飼いにたずさわって生きてきた人が身近に多くいたから知っている。生きものを飼育して、暮らしをたてていくのには、それなりの忍耐と生あるものに対する愛がなければ続けられない。それが多くのものに通じる生き方になっているのだ。だから詩作品にも現れている。収録作品の多くにそれがうかがわれる。これは日常の生活雑記から離れたものをうたったものにも通じている。
 <サッカーのアジアカップが開かれている/日本は ハノイで地元ベトナムと戦った/四万人を収容するスタンドは/ベトナムの色 赤で染まっていた>、が書き出しで、
終章の二つ。<今 ベトナムがサッカーで/日本と戦っている/アメリカ軍と戦ったように/高温多湿のグランドは/あなたたちホームのものだ//今こそ/生きてある喜びを/遠い国に住む私にも/分かち合わせてください>。
 これは「ベトナム」という詩だが、「ベラルーシ」も同様だ。
 <サッカーのオリンピック日本代表が/ベラルーシの代表チームと試合した/ベラルーシのサッカーチームは/初めてのオリンピック参加だと言う>。
 そして臼井さんの働く牧場にも浪江町からきている山羊がいるという。それを見ていた家族は <うちは子供が小さいので帰らないという>と書く。
 <原発は安全だと言いきる人たちよ/人間の知識や技術では/放射能の汚染は止められないのだ//福島第一原子力発電所は/三十年後も放射能を出し続けている/それは事実として残る>。
 多くの人たちが共有している思いであるが、書き残していくことも貴重なことだと共感する。詩評の主旨から離れるが、臼井さんはサッカー少年だった。サッカーを題材にした小説
も書いている。また畜産の仕事をしていた関係で、その世界をあつかった小説も何篇か読ませていただいた。(農民文学)関係の本を多数読んできた私も、白井三夫さんの小説の世界も貴重な仕事だと位置付けている。「あとがき」に<母の告別式の後、お清めの席で、いつか直木賞を取りますと親類縁者の前で宣言しました>。その心意気で小説に詩作に励んでもらいたい。
 とにかく同じ会員の詩集出版は喜ばしいことだ。

(会報287号より)

 

 


田中良三詩集

『詩のまちから』に寄せて    須田芳枝


 128篇の作品が収められた本書はずっしりと掌に重い。ページを捲ると最初に出合う「うみをみたことのないあっちゃんが」は平仮名のみで書かれた8行の詩。海を知らない幼子が海より青い目で絵本の海に話しかけている、という作品だ。読者が初めて手にする一冊の本を捲るとき、そこには未知なる海に漕ぎ出す船長のような緊張感、興奮、好奇心があるのではないだろうか。巻頭詩として置かれたこの短い作品は、これから捲るページ(海)へ誘われる楽しみを提供してくれていた。詩を書く時、作品を短く終わらせる事には勇気がいる。どこか臆病になり書ききれていないもどかしさで、補足説明をしてしまう事が多い。次の三行詩「きたかぜがさびしいね」/きたかぜがさびしいね/あっちゃんが/なきながらねてしまったあとは/

 静かな余韻が残る簡潔な一篇である。
 前半部分はこのような平仮名を多く用いた比較的行数を詰めた作品が並んでいる。新し
い命への不思議と賛歌、生命への慈しみの心情が父親の視線から書かれていて愛情溢れる
光景に、こちら側も思わず豊かなもので満たされた。「千香子の見舞い」/「おとうさん こ
のまくらは ちかちゃんが つくったものです このまくらを いつもしていてね 早くびょうきを なおしてね ちかこより」/と手紙が添えられた手作り枕。看護のために急に留守がちになった母と、昼間からパジャマ姿で病院のベッドに横たわっている父。日常が少しずれてしまって戸惑い寂しく心細い少女の肩が浮かぶ。その枕は/見れば/糸の結びは/セロテープで止められていたのだ/(四連目抜粋)。自身が抱えてしまった病の悩みや不安がどれほどあっても、ほんのり明るい病室としんみりとした時間が見えた。
 読み進むと人との関わりに真っ直ぐ誠実に真筆に向き合って来たが故の、永訣の作品に
出合う。「Jさんに」「ノープロブレムの人」「ボーと汽笛を鳴らして」等は、惜別以前に
あった友情や信頼の確かさが書かせた喪失と悲しみの詩である。生きる事と対にある別れ
の前で人はただ跪く事しか出来ない。だからこそ、花に癒やされ空に思いを馳せる事が出
来るのだろう。「路上の椿」/椿は路上に赤々と咲いていた/花だけで/散ったことなど気
づさもしないで/(全行)
 最後に半世紀近い時間を巻き戻してみると、山村の小学校の廊下が見えた。両手に一杯資
料を抱え軽い足取りで歩いて来るのは田中先生である。私達は急いで教室に戻り、背筋を伸ばして椅子に座った。「おはようございます」と言うと「おはよう」とメガネの奥の優しい目がキラリと光った。小学校の二年間を先生の生徒として過ごせた事の幸運を思思う。

(会報286号より)

 

 


中野和彦詩集『食事の支度』

初陣を喜ぶ          志村喜代子

 

 中野さんが、”青空”と書き”若葉””青い海”等と詩作すると、言葉はなにひとつ纏うものもなく、なんと直裁で明らかなのだろう。一片の曇りなく心にぴったりと添い、掬われるかのようだ。不思議なほど、言葉への信頼に裏打ちされた詩群に始まる第一詩集『食事の支度』である。それもただならぬ青春の真ん中で苦悩の自己嫌悪であり、慕情でありそれ故の怒りがある。だが「空」では、幸福感を味わうにも(バラの花の美しきに/感嘆するとき/トゲは見えない/白鳥の姿に魅せられるとき/水面下の真っ黒な部分は/見えない/会心の笑顔に/思わず笑顔を誘われるとき/笑顔の拠り所を知らない//)と、感嘆しながらも見ようとしない、魅せられながら見えない、知り得ようもない心奥の在りようを葛藤する作者は二連を次のように据える。(よあけまえ/ひるさがり/たそがれ/ながいよる/あさやけ//)。それらは時の流れの様態にすぎず、在りながら確として止め置けぬもの、触れ得ようもない切なる流れなのだ。


     「五月の雷」

 

喫茶店で
春雷を聞いた

 

ガラス越しに
たたきつける
大粒の雨


「全てを水に流す」

 

そんな事はできる筈もない
決してお前を許しはしない

 

雨上がりの歩道に落ちた小さな葉


輝きを増した樹々の緑に
去っていく者の瞳が映る

 

 どちらかと言えば観念的な詩が多いと思われるが、春雷を聞いたというシチュエーションが利いていて臨場感に誘われる。「全てを水に流す」、たたきつける大粒の雨によってできよう筈もないし許しもしない激情を押さえられないが、驟雨が上がれば悲しい自分を憐憫するように、小さな葉に視線を落とす。この小さな葉こそ、(言葉を通らなければ存在に行き会えない)地点に立っていることを証すものだ。さらに、去って行く者の瞳を樹々の緑に追う、しかも輝きを増し痛いほどの緑にーー。共に実在の本質に触れるべく、初陣の喜びを祝いたい。

(会報285号より)

 

 


柳沢幸雄詩集『影絵の街』
持続する青年の詩精神     川島完


 本書の「あとがき」によれば、柳沢は詩作をはじめてから43年になるとか。その間、詩
集は通算19冊、個人詩誌は5誌51号を発行したと記している。まさに脇目もふらずの詩作
一念の風姿に、ただただ驚愕するばかりだ。わたしはその内の4冊の詩集を見ているだけ
だから、何とも心許ない。同文の記述によると、第一詩集『化石』は17歳で出しているから、
群馬の若手詩人を結集したという、早川聡の詩誌に柳沢が詩を発表したのは、その後のこ
とかも知れない。ともあれ17歳の時点で、彼のベクトルは定まっていた、と思うしかない。
 さて、本詩集を読むと、タイトルポエムが巻頭に載っている。次の詩だ。

 

 ほんの少しの間
 影踏みばかりしていたから
 いつの間にか
 影に埋もれてしまって
 迷子になってしまった (「影絵の街」一連)


 この青年の<不条理感>は、一定の普遍性を持っているが、柳沢の場合さらに、ある種
のナルシス感も漂っている。その延長線上に詩「視線死線」はあるし、極限には「僕はマ
ネキンに恋をする」がある。なかのフレーズを拾うと、(マネキンの中に生きる/僕の心
/傷つくなどと生易しい言葉では/言い表せない/通じ合えるものなど何もないけれど)
と、青年の酩酊と反芻と感傷が混濁している。
 思い出せば、野口雨情の「草萌」も、佐藤春夫の「ためいき」も、宮沢賢治の「永訣の
朝」も読んできた。それらはニーチェの「神は死んだ」に触れた前後で、大きな断層になっ
た。むしろオーバーハングといっていい。モーツアルトを、始めから老成した奴と思いつつ、
老人になったわたしは、何と益々ひかれている。そんな次第で、永遠に水仙(ナルキッソ
ス)の咲かない場があってもいいと、思っている。だから柳沢の詩群は、わたしの古い傷
に触る気もしないではない。
 ところで虚実皮膜の間に、真実があるというが柳沢においては、個に徹するあまり伝動
の覚束ないカム軸の感がある。それはまた以前に読んだ3冊の詩集にも、主題やモチーフ
に、いくつもの類型がみられるので、真実の揺るがぬ重みに垂直に切り込んで欲しいと、
常々思っていた。そこのところは、詩を書く誰一人免れる者はいないはずだ。つまり、比
喩の適不適や巧拙を超えたところに、もうひとつの<詩>がある。しかし彼の終始一貫し
た詩精神は、思弁性よりも生理性や現実性を選ぶ強靭さがあり、それが今日まで持続した
母岩になっているのだろう。この岩は少々では怯まぬだろうね。それもまた詩人さ。

(会報285号より)