詩誌「かねこと」とともに      新井啓子

 

 二〇一一年三月十一日、まだ寒い冬の日に東日本大震災は起こった。前の年の暮れから体調を崩していた。耳鳴り。めまい・身体の痛みに脱力感。そんなお年頃でもあった。その日急違職場から帰宅した私は、新幹線に閉じ込められた家族からの知らせで、「本庄早稲田」まで車を走らせた。暮れ方のあちこちで渋滞が起こっていた。勘で抜け道を探し、一度来たことのある橋を渡って、駅前の空き地に到着した後はリアシートに倒れ込み、その後の記憶が無い。
 次の日から仕事は休みになり、行きつけの病院の電子カルテが使えなくなった。テレビは見ない。いや、画面を直視できない。保存食とガソリンの補充に並び、蝋燭と月明かりで夕食をとつた。家族が新たに体調を崩した。陽の光は明るさを増していったが、降り注ぐものへの不安はいつまでも消えなかった。
 そのような中から何かをしようと立ち上がったわけではなかった。足元は揺れていた。けれど何かをしなければやつていけないような気がした。それは他のことでもよかったのだろうがこれしかなかった。ということで、その年の七月、ささやかな手作りの詩誌「かねこと」創刊号を発行した。
 「かねこと」はどういう意味ですかとよく聞かれる。私のすきなもの、「花(か)」「音(ね)」「言(こと)葉」を繋げたものと答えている。読む人によって「兼ねこと」でも「かわいい猫のこと」でも。
 体裁は、ゲストの方の寄稿と、詩人で図書館長の金井雄二さんに紙上ブックトークとして詩集の紹介をお願いし、多くの新たな教示を頂いている。その他は私の担当で、詩作品と二つの短いエッセイ。一つは地元の詩人萩原朔太郎に、もう一つは現在身近に触れることの多い子供の詩に因んだものである。
 最新号は第十号で一つの区切りを迎えた。そうはいっても急に何かを変えようと言うことではない。その時々に多くを抱え込みながら続けて行ければいい。そのための不定期刊である。縁あって、ご覧頂ければ幸いです。

(会報300号より)