「夜明け」について

                 大塚史朗


 群馬詩人会議が発行している「夜明け」について書いてくれとの依頼があった。咄嗟に浮かんだのは昨年の1 0月刊、179号に書いた「夜明けへの回顧」という文だった。それを書くために私が入会してから('76・44号)の誌を全部取り出して記したものだ。それ以前に刊行されたもの('69/10・18号)も手元にあり、すぐ書けるだろうと引き受けた。
 18号の入会案内に次のようにある。<略・詩はむずかしいものでなく、わたしたちの身近なものです。ほんとうにわたしたちの詩を、香り高い詩を、つくりましょう。略・たくさんの人びとの心を動かし、なかまをひろげ、平和と独立のしあわせな日本をつくる助けとなるでしょう略>。これは全国の「詩人会議」の主旨であるが、群馬も同じだったのだろう。寄せている人は17名、40頁。しかし現在、会員はあおきあきらさん一人だ。

 <夜明けは100名以上の会員がいる。廃刊など考えられない>。運営委員長の一木繁さんに言われて入会した'76年の44号から、180号の現在まで欠稿なしで過ごしてきたが、44号の目次を見ると作品を寄せているのは22名、現在、当時の会員で作品を出しているのは私だけである。初期の会員、活動方針はすべて失われていることになる。と「回顧」に記している。
 83号('86/10)より、私が発行人となった。第21回稔会報告を見ると、参加者が20名、午
後は簗瀬和男さんに講演をしていただいた。記録が6頁半も載っている。例会も毎月前橋の喫茶店で行われていた。
 88号('88/4)に第9回『郷土詩人発掘シリーズ<天折の詩人たち>』の講演記録が見える。講師が梁瀬和男・久保田穣氏である。二人はこの時より会員になっていただいた。その後、毎号原稿を寄せてくれているので、全国のグループからも過去にない「夜明け」の評価と存在が高まっている。次号(89号)から久保田穣さんの『群馬における私的詩史ノート』の連載が始まった。これは166号('10/7)まで75回続いた。群馬詩壇の貴重な記録として残るだろう、と記した。
 110号('96/7)から年4回の定期の発行が現在まで続いている。しかし会員の退会は続いた。142号('04/8)より事務局長、編集長、発行責任者を私がすべて引き受けた。このころ総会を開いても私の他一人きりしか参加しなかったので、その後とりやめてしまった。だが毎月第四土曜日の午後、我が家で月例会を開いたら毎回数名の参加者が居た。11年目になるだろう。だが常に来ていた二名が亡くなり、三名が高齢のため退会している。
 現在「夜明け」は常に詩作品を寄せているのは10名たらずだが、表紙うらの吉田光正さんの彫刻写真と解説。梁瀬和男・久保田穣さんの評論の連載。月夜野風子さんの主にヨーロッパの体験によるエッセイと、会員の詩集発行時の特集を組んでいる。300〜350部発行、以前に比べると3倍以上の方々に配布している。

 

 この文を書くために、群馬詩人クラブ発行の<『創立五十周年記念誌」-1945-2007>を取り出してみた。140団体の記録がある。現在も続いているのは「裳」「東国」「夜明け」だけ、
あとは年一回くらいのが3団体ほどだ。短歌や俳句に比べて、現代詩は文芸としての存在が弱くなってきてしまったのだろう。かつて100名以上も居たという「夜明け」も継続しているだけでも貴重なのだと、発行責任者として位置付けている。

(会報286号より)