「紫翠」の歩み     齊藤加珠子

 

 詩人高田敏子の詩に、初めて出合った時、私が求めていた「詩」はこれだと思った。日常を平明な言葉で書いていながら、深い意味を持っている詩である。
 この方に私の先生として、指導して頂きたいと思い、不躾ながら手紙を出した。すぐに返事を頂き「野火の会」の存在を知り、入会した。
 全国に八百人ほどの会員がいて、詩誌『野火』を二ヵ月毎に発行し、高田先生をはじめ四人の先生方が指導して下さった。
 以来十七年間「野火の会」で学んだが、平成元年五月二十八日、高田先生が亡くなられて、詩誌『野火』は残念ながら閉じられた。
 その後、気の合う野火仲間七人で、手紙や電話を利用して、各自の作品を見せ合う勉強会を始めた。
 一年後の平成二年五月八日に詩誌『紫翠』を創刊することが出来た。同人それぞれの故郷を思い、「山紫水明」をイメージして「紫翠」と名付けた。


 児島愛子  (伊勢崎市)
 齊藤小夜子 (五所川原市)
 瀬野チヤ  (天童市)
 服部のぶ子 (前橋市)
 福田尚美  (高崎市)
 真下宏子  (安中市)

 齊藤加珠子 (伊勢崎市)
     以上七名での出発であった。

 

 五十歳代だった私たちは、遠距離でも作品を送り合い、批評しあって勉強した。
 創刊から二十五年経ち、仲間にもそれぞれの事情あって、現在は児島、福田、真下、私の四人である。以前は年二回発行していたが、ここ何年かは、年一回の発行である。各自が詩を三篇とエッセイを発表する事にしていて、編集は順番に受け持っている。
 「詩を書かない人にも解かる詩」をと、高田先生は教えて下さった。私たちも、その教えを受け継いで行きたいと思っている。
 皆高齢になって。遅い歩みではあるが、一歩ずつ歩いていきたい。
 この年末には、三十一号を発行する予定である。

(会報294号より)