裳35年の軌跡      曽根ヨシ

 

 「裳」一号は1979年6月10日あすなろ裳の会を発行所として、県内の女性12名で出発した。表紙は極めてシンプルで紫陽花色の表紙の上部に「裳」と一字活字で印刷され右下に1号 1979年 夏 とある。編集曽根ヨシ、季刊。新川和江、吉原幸子両氏の『ラ・メール』に先立つ事四年であった。編集後記には「どこかの国の女市長さんは家事の合間にお役所に出て行って市政を司る」という新聞記事を引用して私たちは家事の合間に詩を書くと重ねた。さて私たち詩を書く群馬の女性12人、どこを向いても女だらけ、男は一人もいない詩誌「裳」を刊行する事にした。男には男にだけしかない生の感じ方や世界の感じ方があるように女には女にしかない生の感じ方や世界の感じ方がある。女の心の琴線にしか触れないことだってある。それを軽薄な現代のなかで失いたくない。そんな願いがこの詩誌に結集した。自分たちに必要な家は自分たちで作ろうという意気込みである。誌名の「裳」は時代を変遷して生き続ける女性の象徴であるスカートの意味で、つつましやかな詩想を自由にはばたかせてみたいのが念願である。
 出発に当って幸運だったのは二年前にメキシコ・スペインの留学から帰国して、本年度の現代詩女流賞を受賞した田村さと子さんが一年ほど前から前橋に在住している事を受賞の新聞記事から知った事である。拙詩集「野の腕」を贈ると受賞詩集「イベリアの秋」が贈られて来た。大判の部厚い詩集を開くと歯
切れのよい洗練された詩句が胸にしみた。
 早速「裳」にお誘いしてさわやかな一陣の風が吹き起った事を心から喜びたいと後記は結ばれている。
 「裳」は季刊を守り発行ごとに合評会を重ねた。 一番大切な事はいい詩を書くことそして掲載誌である「裳」を確実に発行する事であった。そのための合評会はかなりきびしいものであった。時には暗い気持ちで涙ぐんで帰宅したと言われたこともあった。しかしそのきびしい批評を聴きたくてみな良く集った。
〈裳 第一号の目次〉は次の通りである。

 

  乳母車     田村さと子
  腕         〃
  恋歌      神保 武子
  堕ちる     堤  美代
  花       島田 千鶴
  扉       福田 怜子
  冬の公園      〃
  病んでる蝶   中島 珠江
  風が流れる   黒河 節子
  配達      志村喜代子
  命日の友    峰岸 和子
  冬ざれ     真下 宏子
  はるの指    杉  千絵
  オルガン    曽根 ヨシ
             編集後記


 かなり長い間、合評会は公民館を借りて行われていた。市の公民館は駐車場が少なく遅くなれば遠い駐車場まで車を置きに行かねばならなかった。現在ではノイエス朝日さんの二階の会議室を借りて合評している。静かだし駐車場は広く会が終われば一階のギャラリイで展覧会が観られる。観終ればお茶を出して頂き作家とお話も出来る。ここでの時間は詩作の栄養になる。家庭から開放されて学ベるからだ。
 裳同人の殆どは長い間には県文学賞を受けている。県外の賞も、房内、真下の両人は受賞している。グループとしては「抒情文芸」や「詩と思想」で全国的に紹介された。編集は1号〜108号迄曽根が発送・雑務の全てを含めてして来た。109号から116号まで神保・志村の両人が編集を担当した。118号以降は主宰と相談しながらという条件付きで手書き原稿のパソコン打ちから編集までを須田さんが引き受けてくれている。表紙は31号から一貫して中林さんの版画で飾っているが一枚として同じ物は使わない。この6月30日裳は123号を発行したので中林さんの制作した裳の表紙の版画は92枚になった。自然界の生き物、野の花、山の花 少女達、題材は多彩である。 一番若い四宮朋さんは去年上毛文学賞に輝いた。8月1日から24日まで中林三恵・めぐみの親子展が敷島町のフリッツアートセンターで開催された。裳同人の自作詩朗読、新井隆人氏引きいる「芽部」の活動仲間の演奏と朗読で多彩な朗読会となった。これからも続けたいと思う。

(会報288号より)