はつあさま 三人の近代詩人

                  田村雅之

 

 ここ二十年くらい、欠かさず暮れから正月を郷里の群馬で過ごすのが慣になっている。
 たいていは伊香保や四万の温泉で。またその帰り、高崎の在にある実家で、幾日か静かな正月を送ったりしている。
 築一二〇年のわが家から眺望する四囲の山脈は、懐かしさも手伝ってか味わい深いものがある。
 「初浅間山(はつあさま)」、この季語が好きだ。
 昨年(二〇一六年)も、雪を冠った浅間山を見て、一篇詩を書こうと思った。そして出来たのが、つぎのような作品だ。

 

   旋回
碓氷の里の
バス停留所から
家に向かって少し下り歩く
仰角三十度
ややあって
皓白にかがやく初浅間を
見上げると
その上面に一羽の鷹が不意にあらわれ
あたりをゆっくり旋回しはじめる
雲ひとつない新年の大空に
きびしく雨覆羽根の下の灰色の風切羽が
雄々しく真白斑が
孤塁を守るとは、と

この俗界を蹌踉と歩く
じぶんに聞かせ、おしえるように
無言で
幾たびか回って
ひとすじ東の方に消えていった
慷慨の性向を
ひとたち窘(たしな)めるように
          (詩集『碓氷(うすい)』より)


 その古い家からさほど遠くない距離の地に、優れた三人の近代詩人がいる。里山を超えた磯部には『藍色の蟇』の大手拓次が、榛名の麓の棟高村には『聖三稜玻璃』の山村暮鳥がいた。また前橋、厩橋にはあの萩原朔太郎が。
 そういえばわたしの母方の姓は木暮で、暮鳥の家と同じだから、もしかしたら血が繋がっているかもしれないし、拓次は高校の先輩にあたるし、またわが家の蔵には、曾祖父の死の折にあてた、朔太郎の父親の密蔵さんの書いた弔辞が残っている。(同じ医者仲間だつたからに違いない)
 この三人の全集を読んで、わたしは詩人になった、というのは真実である。この文を書いてあらためて納得しているのである。
 今年は大手拓次の生誕一三〇年だという。孤独の生涯を送った拓次ではあるが、その詩魂は今でもけっして色あせてはいない。わが書架に、生涯一冊の詩集『藍色の蟇』は換然と光り輝いているのである。

(会報299号より)