薔薇と花野
 ―大手拓次生誕一三〇年に深謝をこめまして―
            大手拓次研究会 代表 真下宏子

 

 安中市磯部に生まれた詩人大手拓次を偲ぶ会「薔薇忌」が、今年二十回目を迎えました。ひとえに、拓次にお心を寄せ続けて下さる、皆々様のお陰様と深謝申し上げます。
 大手拓次は、薔薇の詩を多く書き「薔薇の詩人」とも言われております。彼は、詩の創作の為のノートを「花野」と名づけました。
 彼は詩の創作を通して「真」への道を歩み続けました。
 「薔薇」を「真」の表現と仮にとらえてみれば、薔薇をも含む「花野」は、「真」を表現する為に生き続けた拓次の「真」とも、とらえられましょうか。

 拓次は「芸術は、(中略)文学も、(中略)いづれも魂の表現にほかなりません。」(大正7年9月21日午後)と、拓次を支え続けた親友の逸見享へつづっています。
 拓次の魂の表現が、「真」の薔薇の一輪として花開くまで、冬の日も、夏の暑い日にも、その根元を守り、そっと水を注ぎ続けていた人々がおりました。
 拓次は、彼の祖母のことを次のように日記に記しております。
「いつもさうであるが祖母の事を思ふと、私は此世の中に愛の存在を確実に握りしめる事が出来る」(大正9年10月17日)
 幼くして両親を失った拓次でしたが、彼を支え続けてくれる人々は、人生のその時々に、そっと在り続けてくれたことと思われます。拓次の死後、彼の初めての詩集刊行に尽力した親友の逸見享もその一人で在りました。
 「薔薇」を拓次の姿と、仮にとらえてみれば、薔薇をも含む「花野」は、彼自身でもあり、彼と共に在り、彼を見守り続けた人々、そして、今もなお、見守り続けて下さる皆々様お一人お一人のお姿とも重なるように感じます。
 拓次は、すべての花々と共に風に吹かれながら空へのぼっていったのかもしれません。空の上から見れば、求め続けた「真」の姿が青く澄んで、拓次自身もその一部として、光輝いて在り続けているのかもしれません。
 時を越え、音も今も、拓次を支え続けて下さる皆様お一人お一人の笑顔に、心からの感謝をささげたいと存じます。
 拓次の「真」への道の旅は、私達の心の中の旅路となって今を生きております。
 朝露に眼を開く薔薇の香を、心からの感謝と共に聴きながら、「真」への道を、皆様とご一緒に一歩一歩、歩んでまいりたいと存じます。

 

  すぎし日のばらの花(昭和8年5月17日)

 

 すぎし日の 枝に咲く ばらのはな
 そのにほひ すずろに とほく
 ふかぶかと きゆるなし

(会報301号より)