萩原朔太郎研究会 第43回研究例会報告


 2013年11月17日(日)前橋文学館において、萩原朔太郎研究会の第43回研究例会が開催された。
 斎木前橋文学館長の挨拶の後、那珂太郎会長に代わって昨年六月に新会長に就任された三浦雅士氏の挨拶があった。

 三浦新会長は、英語が世界を席巻し、日本語を含む他の言語が滅びかけていることから始め、日本の近代詩人の中で朔太郎だけが、詩の原理、言葉そのものの働きを追求した存在であること、また、人間の悲哀や喜びは言葉とともにあり、そういった人間の肝心要な部分に触っているものこそが詩であると、話された。そして、前橋文学館と萩原朔太郎研究会との関係について、より密接な連携を促すとともに、研究会自体の活動もより活性化していきたいとの抱負を述べられた。
 つづいて、栗原飛宇馬氏による研究「萩原朔太郎の<時代>ー傍流の研究資料からの「考察」の発表があった。栗原氏は、朔太郎全集未収録の資料の紹介を通して、朔太郎と戦争ということについて考察された。

 資料のひとつ 「萬国太陽旗」創刊号は、旭川出身の鈴木政輝らが昭和六年に発刊したもの。朔太郎はここに、数編のアフォリズムを寄稿している。「萬国太陽旗」の、日本国家独裁の世界政府樹立を訴えるという性格上、朔太郎が戦争に対してどんな考えを持っていたかが問題になるが、他の資料を見ても、朔太郎が鈴木らの論に同調していたわけではないことがうかがわれ、戦争に批判的であったとも、肯定的であったとも、単純には断定できない。文学者と戦争の問題を巡っての新たな問題提起となった。
 二人目の発表者は愛敬浩一氏。「萩原朔太郎/『青猫』/岡田刀水士」と題して、朔太郎と岡田刀水士との交流や岡田の詩への『青猫』 の影響について考察された。
 ご自身の近著「岡田刀水士と清水房之丞」を引きながら、岡田の戦後の詩集「幻影哀歌」「灰白の蛍」について、朔太郎の『青猫』の影響抜きには語れないが、それとは別個の世界になっていると評された。そして、朔太郎というと病的な部分が強調されがちだが、表現をゼロ地点まで戻し、そこから始めていることにこそ朔太郎の新しさがあるのではないか、と締めくくられた。
 最後に、栗原飛宇馬氏による「朔太郎の演じたマジック」を楽しみ、研究例会は閉会となった。

(報告・文責 佐伯 圭)

 

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(会報285号より)